「きみはしあわせか?」

東京の友人が出張ついでに寄ってくれました。
遠方から人が来るときは、いつもだと観光的にあちこち連れまわすのですが、
今回はおっとと三人で、ずっとしゃべっていたような気がします。

年齢が近い50代男女三人が何をしゃべっているかというと・・・・・・
おたがいの仕事のディテールについてはほとんどしゃべらなかった
ちなみに友人は編集会社を経営しています。


友人は、
「きみは幸せ?」
とか、突然聞くのです。

「うーーん」

オットの前で黙ってしまうのが私。適当に「うん、しあわせよ」といいません。
答えに困って長い沈黙のあげく質問するわけです。
えみこ「あなたは?」


友人「おれは幸せだな」
オット「おれも幸せ」

えみこ「あなたたち二人とも、私から見ると、すごく強いんだけどさ、
私は実に弱くて、けっこうすぐ逃げたくなる。
こういうかんじだから、幸せとは簡単には言いにくいんだけど、
なんであなたたちは、そんなに強いのかね。
たいへんなときにも、揺るがず、ぶれず、まっすぐにぶつかっていけるのはどうしてなのかね」


友人「オレは違うけど、ダンナさんはほんと、ぶれないよな」

オット「そうかなあ(笑)」

えみこ「ダンナサンはぶれないけど、あなただってすごいじゃない。
あのときとか、あれのときとか(30年つきあいがあるのでいろいろ事件がある)よく、逃げたくならないよね。
人に愚痴るとか相談するとかもしないでしょう?
自分のせいじゃないし、逃げちゃえ、とか思わないの? 酒に逃げるとかもしないでさ。
普通、なんか逃げ道探したくならないかね? まともに頑張るだけじゃなくてさ」

友人「逃げれば楽になる、とは思ったかもだけど、そういうこと考えなかったな。
目の前にやるべきことがあったら、それをやっていくことで頭はいっぱいだし、ほかのこと考えないよ」

えみこ「(オットも同じこと言ってたなと思いつつ)でも、あれは、あまりにもたいへんじゃない」

友人「人生って、たいへんだもん」

おっと「人生はたいへん。だから面白い(笑)」

友人「そうなのよ。いつだって、たいへんなんだよ。だから面白い」

おっと「もう、生きてるってことは、そういうことだから。でもそれだから、生きてるって幸せだなあと思える」

友人「おれも! 生きてるのはいいなあって思う。人生たいへんで、おもしろい。
大変なことはどうしたって起こるよ。能力が足りないとか、もっとできればいいのに、とか思うよ。
でもそういうのがおもしろい」


ふたりは多良木町の恒松酒造の焼酎がおいしいみたいで、
一升瓶をかたむけ、手酌でがんがん飲んで楽しそうです。


えみこ「なんで私はいつまでも弱いかねえ」

友人「ほんとに弱いの?」

えみこ「ここんとこ、なんで病気になったか考えろ、と人に言われて、考えようとしてるんだけど、
いろんな理由はあるけど、根本的に、心の弱さがあるなあと。
大人になってから今までのそういうストレスの集積ってそうとうなもんじゃないかと思うんだけど」

おっと「オレ何にも考えないからな。考えてもわかんないこと考えない」

えみこ「うーーーん」

★★★

友人「オレがヨメサンとのことで悩んでいるとき、きみに結婚ってなによ、って聞いたんだよ。
君はあんまり真剣にとりあってくれなかった」

えみこ「都会の結婚と農家の結婚は違うんだよ。
農家の結婚は原始時代からかわってないのよ。
協力しあって生きていくシステムを結婚というの。

結婚って何よって言われてももね、ってかんじだったんじゃないの。
ウチの場合、彼はひとりで生きていけるんで、そうじゃないけど、私はものすごく彼に依存してるからね」

おっと「ぼくだって君に依存してるよ」
えみこ「どこが?」
おっと「ねっこで依存してるんだよ」


後になって考えると、農家に限定する必要はないのかと思いました。

協力して生きていく、依存しあって生きていく(共依存という意味ではなくて)
そういうのが意識から消えていると、結婚してなくてもいいんじゃない?ってことになるかもしれません
でも、依存ってことばには異存あるなあ。と、あとで思いました
頼るとも違う。存在のねっこにすでに絡んでいる的な存在にいやでもなってしまうのが農家的結婚?
農って、経済も哲学も思想も生きかたも全域からむから。


私が20代のときにしてた結婚は、独立独歩の、根っこの絡みまったくなし。
結婚しなくてもよかったんじゃない? といってしまえばいえる。

友人は、そういうのも目撃しているわけで、
今回の結婚については、
「君は運がいい」と何回も言ってくれました。




★★★


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