ゆきちくんのこと

江戸末期の日本人はかっこいい人が多かった。
福沢諭吉をかっこいいなあと思うようになったのは、「福翁自伝」を読んでから
これが座右の本になってしまい、いつまでも本棚に戻らなかった時期がありました。
ほかの諭吉本も、もれなくおもしろいです。

competitionという英語の日本語訳に、「競争」ということばをあてたのは、諭吉くんらしいです

それまでの日本には競争がなかった!

商人は、よそよりたくさん売ろうという考えをもたず
ひとびとは、あの人より出世してえらくなろう、という考えもなく
みんな、生まれつきの家柄やうまれつきの貧乏度、かねもち度にそれぞれでいい、
という考え方だったらしい。

それは封建主義のあしき側面でもあり、したい職業につくことも、住みたい場所に住むことも簡単ではなく
うまれたらその運命の場所でしぬしかないということで、
それはそれで悲惨だとおもう。
思うけれども、そこには「今のままでいい」という、安穏もあったろうなとおもいます。

(ある武士に競争の意味を教えたら、「それを他人を踏み台にするということではないか、そんな卑怯なことは私にはできない」といったというようなことがなにかの本に書かれていた。正確な言葉を探したけどみつかりませんでしたっ)

ゆきちは、お父さんが早く死んだので、貧乏な下級武士の
家の次男という、いちばんどうしようもないポジションにいたそうです。

大分の中津で藩づかえの身になりサラリーマン生活が待っていたが
住みたい場所にすみ、生きたいように生きるため、
かれに残された唯一の手立てが学問
もうそれしかないので、勉強した

学資があるわけでもなく常に貧しかったけど、みんな貧しいので気にしなかった
翻訳のアルバイトでお小遣い稼ぐ人も多かったけれど、
そんなことで貴重な勉強の時間をつぶしてはもったいないとやらなかった

酒好きで友達とよく飲み、しかし勉強は熱心で徹夜しながら原語の本を読みまくる

漢学隆盛の時代
ゆきちの漢学の能力は高かった
かれは漢学(中国語)をするっとこなしたノリで蘭学(オランダ語)も
存外難なく学んでいく

これからは蘭学だ

と思って勉強していたけど、途中横浜にいったのを機に、

これからは英語だ

と気づき、また英語の修業

そして咸臨丸にのせてくれーと頼んでするっと願いかない、ジョン万次郎や勝海舟とアメリカゆきを果たす

一回経験してしまうと、経験者の有利で、ヨーロッパへの洋行にも参加でき
もともと漢学やっているので文章は達者
英語もオランダ語もできるとあって
そんな人はそうはいないから
幕府のなかでも旗本扱いのサラリーや扱いを受けるようになる

なるけれども、少しも幕府が好きでないゆきちくんは
勝海舟とはたぶんすごく仲が悪かったんじゃないかと思うけれど

だれにも頼らず生きる独立独歩の精神をつらぬく
明治になって学校制度をつくってくれと頼まれても断り
上にもペコペコしないかわりに、下にもえらぶらない

終生、身分が低いから、年下だから、といって、相手に乱暴な言葉をつかったりよび捨てにするなどしなかったらしい

お金にもつねにタンパクで、借金だけは絶対しない
これをしてくれたら、このお金をあげる
と、うまい話をもちかけられても
それを受けたら生涯、頭が上がらなくなるのはいやだと思って断る


都会っぽいなあと思うのは
誰とでも仲良くし、ともだちは山ほどいるが、考え方がずれてきたら無理して付き合わない
ひとの考え方を正そうとしないし、ひとのやりかたを批判しないし、喧嘩しない

クールにも見えたろうし、義理人情にあつくもあった

卑劣なこと節の通らないこと、無駄な儀礼、無駄な慣例をすべていやがった


西郷隆盛も、ガンジーも、マザーテレサも、キューブラーー・ロスも、
死後に、「あの人はけっこうやな人だったんだよ」という醜聞が出回っているように
福沢諭吉もそうみたいですが、いいところだけ、受け継いでいきたいと想います。


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