映画「イエスマン」と無謀の人

昨日は「イエスマン」のほうを見ました

BBCのラジオディレクターの実話をもとにしている映画だそうですが、主人公が自己啓発のセミナーで
なんでもイエスといい続けると人生が好転するという教示をうけ、その通りに実行して行くという話。

何を頼まれてもいわれても、イエス、イエス、ですべて受け入れていくとどうなるか

ホームレスに車にのせてくれと頼まれてものせてあげる、財布のお金ぜんぶくれといわれたら、ぜんぶくれてやる
翌朝の早朝から大切な用事があっても飲みに出て来いといわれたら、ベッドから出て行く・・・・

ジムキャリーの上手さすごさを改めて認識できます
すごく気分よくみれる映画

今日になって気がつきました
映画を見ているときは気づきませんでしたが、私ってイエスマンなとこがけっこうある

基本的には大枠でいえば、というレベルで、なんでもイエスはしませんが

お客様にたいしてもかなりイエスマンなので、しばしば園主から怒られてます
「なんでこの人がこういってきたからといって、こうしなきゃいけなかったの?」
「うーーん」

というような、論理的な答えのないことをしてしまうのがツマの悪いところ

企業体としては一貫性のある対応をしないといけないんだそうですが、電話やメールで感じる(なんだかそういうふうにしてあげたほうがいいような気がする)の、なんだか、の部分にしたがってしまうのでした

それが新たなクレームのモトになることもあるので、わたしのそういう対応がいいことだとは最近思ってないんで、イエスマンを矯正中です

話を戻しますが、
20代前半のころは、デートに誘われたら断らないので、「えみちゃんは異常~」といわれることもありました
一緒に上野の美術館に行くくらい誰が同伴者でもいいじゃんと思うのですが、こだわりがないです
小学生のときからそういうタイプで誰とでも遊ぶし、それも当時非難を受けました

どういう人がくるかも聞かないでパーティにでかけていったり
どういう内容かもしらずセミナーにでかけていったり
会ったほうがいいといわれるとアポとって会いにいく
仕事もかなり断らなかったほう。いいのか悪いのか分野がどんどんひろがってしまった
仕事でであったいいものはすぐに実生活に取り入れるというのも特長的で
受け入れキャパ広すぎ
仕事はそれでもいちばん断った分野ですが(断りの理由は、それは能力的にできない、というもの)


断らないでいるのは、自分のちいさな好みや経験で判断するより、流れにまかせたほうがいい、というどういう根拠かわからない思いがありまして、「人生は実験だ~」の人でありました

やってみないとわからないからやってみよう

やってみたらすごいコトやモノだったりするかもしれないと思うわけです
この小さなお誘いが千載一遇の何かとの出会いを潜在させているかもしれない、とも思ったりする

全然いかないタイプのお店に誘われたら、じゃいってみよう
絶対聞かないタイプの音楽CDや本を貸すといわれたら、じゃお借りします

推薦を受け入れるのはほぼALL。好奇心だけかもしれません
なんであなたが農業? といまだに昔の友人から本心で驚いている様子の質問をうけますが

そんなに驚かれるとほんとのことは言えないのですが、ほんとのところは

「人生は取材だから、おもしろいことはなんでもしたいだけ」

という理由だったりするかもしれない

就農に関しては依頼されたわけではなく、私のほうからの依頼ですがね
園主も、考えてみると、かなりのイエスマンなんですよね
やってくれといわれたコトが理由で3回も転職している(3回目の転職はココ)

親が行きがかり上買ってしまった果樹園をなんとかしてくれと頼むから、やったことも触ったこともない知人もない何にも知らないのに、果樹農家になってしまうイエスマンが園主です。

無謀なんだから~

わたしも無謀だとか怖いものしらずだとか、さんざんいわれました

でも、それによって本当に困ったことになった記憶はないんですよねえ

覚えてないだけだ?

いやあ~~そうかなあ。そうかもですねえ

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