神も宗教もいらないくらいしあわせなアマゾン川沿いの小さな部族、ピダハン

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エミコです



 『ピダハン ~ 「言語本能」を超える文化と世界観』

って本をごぞんじでしょうか
言語学者で宣教師でもあったアメリカ人男性の書いた本

アマゾン川沿いの、ジャングルのまっただなかで原始的な暮らしを営むピダハンという人たちの
言語研究と、彼らにキリスト教布教することを目的に
幼い子供たちと妻をともない移り住んだ人が、

教科書も単語帳もないなかで
ただひたすら言葉を収集しながら、言葉を理解するにつれ部族へ理解を深めていくという
ノンフィクションの体をとった言語学の本です


南米は数百年前からキリスト教布教に欧米の宣教師が
熱心に派遣されているところですが、
ピダハンには、キリスト教がまったく浸透しない
言語が特異すぎて、聖書を正しく翻訳することさえできないから、ともいえますが
本当の理由は、

ピダハン語は
見たことしか、または見た人が話したことしか、現実には存在しないという言語だからなんですね

キリストが復活した? あんたは見たことあるのかね
または誰か見た人を知ってるの?

という話になる

あんまりまじめに話していると、大笑いされるかまたは荒唐無稽なトンデモ話と片付けられておしまい
宗教心は、どんな種類のものであれ、見たことないものに対する信心ですが
全く通用しない。

ピダハン文化を貫くものそれは、究極のリアル

著者の信仰を深める契機となった「継母の自殺」のエピソードを、これこそ絶対感動させてやるぜ
何度も人にきかせて毎回、そうだったんだから
的な思いをもって語って聞かせたら

「ピダハンは自分で自分を殺さないわあ」
わっははっは級の大笑いをされてしまったようで
このショックから立ち直るのに、著者はけっこう時間がかかったといっています


見たことしか言葉におきかえられない言語では
数字、数さえないのです

だから「すべて」とか「すこし」「たくさん」とか数に基づく修辞もない
簡単な足し算の講義をしても誰一人理解できないし
川を船でやってくる人たちと交易すれば、簡単にだまされる

だけど彼らいつも笑っていて
こんなにシアワセな人たちを見たことがない、と文明人たちは思うのです

「もっと」という言葉も当然ない
比較という考えもない
先祖もない、歴史も過去もない、後悔もない
今、ここがすべてという生き方が透徹すると、人は不幸になりようがない


文明人はどっちなんだ
わたしたちが文明とよんでいるもの、何千年もかけて築いたもの、
それによって
わたしたちはシアワセになったんだろうか



一様に考えこんでしまうわけです


ピダハンには未来への恐れが一切ないから
食料をためこむという考えがない

つまり蓄財とか富とかいう考えがない

心配、不安、先回りして考える、計画する、未来のために努力する、明日のために今日を犠牲にする・・・

これらのすべてがない

そんな社会には、競争も比較もありません

宗教が存在するには、「不幸」がなければならない
と宗教学者もいっているそうですが
ピダハンには「不幸」がないため、宗教者が束にやってきても、

ここには宗教はいらない

と思い知ってすごすご帰っていったのは、著者だけではありません

著者は、キリスト教研究と布教に半生をささげてきた人ですが
ピダハンの言語への理解を深めるにつれて
キリスト教そのものに、決定的な不信感をもつにいたり、
ついには信仰を捨ててしまった

それはもう、キリストとともにいきている人からキリストをはぎとったら
異性愛者と思っていたら、じつはゲイだったと、いうくらい
彼の人生をとりまくひとにとっては大打撃を与えるものだったそうで、まあ~~~

日本人が「あたし無心論者だから~」とかのレベルではなく
神もほとけもない、完全無欠「無神論」に改宗させられたってことですね

言葉で説得したわけでなく、日々の生き方と態度でこれを結果的にやってしまったピダハン、
すごいです

45歳くらいが寿命という民族ですがせつな的というわけではなく
自分のすべてを他人にあげてしまう利他心がある一方
人に頼ってまで生きていく必要はないと考える部分もあり
神はないけど
精霊はつねに見ている(なにを見ているかはわからないけど)

子供にたいして暴力をふるいながら躾や教育をするなんてとんでもないと思っており
子供とオトナでしていけないこと、していいことの差もない

子供がなにか危険なことをしていてその手にしているハサミを取り上げることは
子供から生きていく力を奪うことになると信じています

蛇だのマラリアだの死にいたる外敵が日常を埋め尽くしている世界で
サバイバルしていくということは、知識や経験智以上のなにかがないと
むずかしいのかもしれません


「あっはっはは、柿が落ちたって? 15000の袋をかけた? わっはっはっは、おもしろいことするねえ
そんなに柿の袋かけはおもしろいのか?」


ピダハンはいうだろうなあ
未来のためにかけるのではなく、そのときそれがおもしろいからした、としか思わないはずだから


ピダハンにはありがとうやごめんなさいなどの、慣習的儀礼的なことばもない

ありがとうっていいたかったら、態度であらわす
ごめんね、の心も行動であらわす

簡単に、ありがとう、ごめんなさい、を連発しているのは
なにかを怠けているかもしれません

「アメリカ人はありがとうを言い過ぎる」とブラジル人が言った、との記述に
妙にひっかかりました
日本人も近年、アメリカの影響でありがとうを言い過ぎるようになったと感じます
これは確実に日本文化のなにかを変えたはず


言葉っていうのは文化をつくる
文化が言葉をつくるんじゃないんだなあ


この宣教師がいちばん言いたかったことみたいです


私たちも。

いつもご愛顧、ご声援、ご理解をいただいて
本当にありがとうございます

の心も

桃やぶどうを送れなかったたくさんの皆様、
長くお待ちいただいたのにごめんなさい

の心も


毎日、積み重ねていくもので有形無形にお返ししていくしかありません


やることやまほどある朝に
つい、長々と書いてしまった
メールのお返事たっくさんたまったままです

ごめんなさい!


あ、いっちゃった

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