『イシ 北米最後の野生インディアン』

鶴見俊輔さんがこの本について書かれたすばらしい文章(『近現代作家集Ⅲ』 河出書房新社)を読んで
アマゾンの古本で即買い。
初版は1970年。岩波書店です。
著者はシオドーラ・クローバー。
「ゲド戦記」で知られるル・グゥインの母上で、本にも印象的な序文をよせています。
なぜ文化人類学者の父上がこの本を書かなかったか。
それは本を読めばわかるアメリカ人の暴虐が・・・・・(読んでください)


全然関係ないテーマなんですが、今日ちらっと見たウエブサイトに、こんな言葉が書かれていました。
「人間としてありえない行動だ」。

思いました。
ヒトの行動や価値観は、文化という鋳型しだいでいかようにも、性質をかえます。
戦国時代と、第2次世界大戦中と、20年前と、今と性質がみんな違う。
「人間としてありえない」は、無知だからいえること。
他の時代に対して、私たちはみんな無知です。


「イシ」という本でレポートされているのは、
石を削り、弓をつがえて、狩猟生活し、裸で暮らす石器時代同然の暮らしを生きていた野生インディアンが、
ついに最後のひとりになり、白人の前に自ら姿をあらわしてから亡くなるまでの数年間です。

石器時代から鉄器時代へ。
一日で数万年を飛び越えた男の名前はイシ。

たいした混乱もみせず、鬱屈もせず、スムーズに数万年分のスリップを消化する。
こういうことが誰にでもできるとは思えません。
そこで浮かび上がるのは、イシにそれができるのは、インディアンの集落における一種の上流階級の出身として身につけた堅固な教育があったからと思わせます。


教育とは、学校教育、躾、常識、メディア、伝統、流行、家風、お国柄・・・。
生きて暮らしている空間で、日々吸収するもの。
ヒトの考え方を育て、個々の性質をつくりあげるもの。


石器時代の人間が見るアメリカは、
どんなにまぶしく、すばらしいものに見えるだろうかと、文明側の人間からみると思うところですが、
イシは、おおかたのアメリカ人の想像とはまったく違う感想を抱きます。


英語を十分に使いこなせたとはいえないので、イシの残した言葉は少なく、それを言葉では伝えられてませんが
文化人類学者の奥様が、だんな様に代わってかいたこの本は、豊富な写真と周囲の人との交流の記録から、
イシの考えを、イシが受け継いだ野生インディアンの哲学をあぶりだします。

イシがみたアメリカ人は、

名声とか権力とか金を欲しがり、
若く見られたいと願い、年をとることを恐れ、
考えるよりしゃべり続け、家の中に閉じこもり、欲深く、きわめて残虐・・・・

イシはその愚かさを認識しながら、あわれむでなく、そういうあり方を受容します。

あまりに自分の育ってきた環境と異なる文化に接すると、簡単にけなす、はねつける、はよくあることですが、
未知なる生活習慣をけなすでなく、排斥するでなく、自分の理にてらしあわせて考え、試してみて、
取捨選択していくイシ。周囲のアメリカ人はそんな彼の賢さに瞠目します。


言葉の習得が十分じゃないのに、寡黙な男なのに、
笑顔から、たたずまいから、生活の仕方から、働く姿勢から、
イシが部落で教育されてきた思想と哲学が、アメリカ人に伝わるのです。


インディアンに知恵などないと思っていたアメリカ人たちが、
イシという石器時代からやってきた男に対して尊敬の念を抱き、
魅了され、その時代の第一級の知性をもった教授陣が彼のともだちになりたがるのも、当然のなりゆき。


アメリカの文化文明に接して、「アメリカは何もかもすばらしい」と驚嘆のおもいで受け止め、
すべてを吸収していった戦後の日本人とは、かなり違います。

自分と自分の文化に、ゆるぎない尊敬がある

これがあるかないかがどれだけ大きいことか。
改めてアメリカ人の戦後の「教育」政策がいかに的を得ていたか思い知らされます。

ひょっとしたら、アメリカは、日本を内側から崩す方法を、
精神性においてかなり共通項のあるインディアンの文化人類的研究にヒントを得たかもしれない。
と、この本を読んで思いました。

日本人と野生インディアンの類似性は、本のなかでも言及されています。

言語の共通性。
鎖国して文化を守る。
自分たちの文化への誇り。

こうした人間たちの強さのもとにあるもの。
ひとつは、インディアンも、日本も、
三世代で暮らしており、文化の継承は親から子へ継承されていること。
教育の中心は学校より家だったのです。

勤勉で誇り高い集団を内側から崩すには、家制度を壊せばいいと誰かが気づいたんでしょう。
核家族化させれば簡単!


大量殺戮に有効な武器を持たない点では
日本人も、インディアンと同じなのに
江戸末期の日本人はなぜ、同時代のアメリカ人に、壊滅されなかったのか。


インディアンを大量殺戮したのは主に、ゴールドコーストに金目当てで集った無知で粗暴な移住者でした。
彼らは文字が読めないことも珍しくなく、育ちは極貧。教育といえるものをほとんど受けていない。

一方、遠い島国である日本にやってきたのは、ペリーたち、知的に教育されたエリート。
教育を受けたアメリカ人には、当時の日本人のすごさがちゃんとわかった。

この違いは、大きいかもしれません。

当時の識字率の高さに日本にきた外国人は、どこの国のヒトも驚いたといいます。
かなりの率で、ほぼ全国民が文字を読み、数千年の蓄積を伝達、伝承、教育できる国。
そんな国は日本以外になかった。

千年前に書かれた知恵を読みこなす恐ろしい国民を腑抜けにするために、
戦後、アメリカは、旧かなづかいを、新かなづかいに改めさせた。
ということでしょう。

インディアンは文字をもたなかった。

カリフォルニアで同じ郡といえる近い場所に暮らしながら、
ときにはドイツ語とスウェーデン語くらい集団ごとで、言葉が違ったらしい。
文字が必要とされなかったのは、別の能力を育てていたからかもしれません。


インディアンと日本人は、とても似ている。
注意深く意図された、アメリカによる教育によって、大きく性質が変貌してしまったところまで。


イシは文明に参入したおかげで、文明病である肺結核にかかり、亡くなりました。
最後にのこした言葉が記録されています。



「あなたは居なさい。ぼくは行く」





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『春にして君と離れ』

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ぶどうが成長期でどんどん大きくなっていきます。
もう少し雨が降るとありがたいですが、去年のように降り過ぎるのに比べればましです。


結局どういう食生活を採用したのか
と周囲の人に聞かれることがあります

「いや何も採用してない」

という答えになったり

「スムージーとサラダで野菜をたくさん食べることと、いい油をいっぱいとることと、お米をあまり食べないこと」

と言うこともあります

小麦は手術前は相当徹底して食べなかったのですが
最近はおいしいパンをいただくと食欲のままに食べてます

厚めに切ったトーストにバターをおき、ほどよく溶けたとこにおいしい蜂蜜をとろり
そこに、まっすぐ、かぶりつくしあわせ

まっしろな食パンに、塩とオイルをからませた野菜をたっぷり+オムレツ+ケチャップをサンドして
上から押さえつけて、それを両手でもって、口を大きくあけてかぶりつくしあわせ

したいと思いついたら、することにしています。



さっき
ぶどう畑にでていったら
わたしがしようと思ってたこと、アレもコレも、まだしなくていいとか、もうしなくていいとか
却下されてしまいました


今日は朗読で「秘密の花園」を聞きながらブドウ作業をやることを思いついてイヤホンを耳にさして畑いきました
なんと残念。


というわけで
今からまたカウチで読書タイムにはいります
コーヒーといっしょに。

読むのはアガサクリスティの「春にして君を離れ」
評判が高いのは、何十年前から知ってるのに、ずっと読んでなかった作品。

本のおすすめをうけて、読むとかならず百%おもしろい
たぶん好みがぴったんこな、便利な友人がいます
最近何がおもしろかった? と昨日きいたら、
リストのなかにこれがあったので読むことにしました。


<追記>
凄い小説でした。
アガサクリスティの「春にして君を離れ」
すごい、とかスゴイではなく、漢字です。ここは。凄いです。
誰かが殺されるミステリーではないのに、普通の主婦が旅行して、無事に帰ってくるまでの
一週間を描いただけの小説なのに、心臓がドキドキします。
呼吸をするのを忘れます。
文字が発明されて以来、小説はいろんなドラマを描いてきたけど、
ここ、これ、を描いた人は、クリスティの前にいたのだろうかと考えてしまいました。

読んだ人が全員「ワタシも主人公と同じかもしれない」と考える時間をもつわけではないでしょうが
そういう迫力をもっています。まあ、凄いです。



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死にひんしている人を呼び戻す方法

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図書館で借りた本です。
脳の意識をつかさどる部分が損傷して一週間も昏睡状態で、
死ぬか植物人間となるかと診断されていた患者が
一週間後ぱっちりと目を覚まし、病気の片鱗も残さないレベルで回復してしまった。

一週間の昏睡中に意識が見聞きしたことを描いた本。
この手の話の大家であり臨死体験の命名者でもあるレイモンドムーディもおすみつきの、
最近はあまたある、この手の経験談のなかでも、かなり特殊な内容です。


「人間としてのアイデンティティを忘れ去っていたからこそ、何ものにも妨げられずに広大無辺な存在であるほんとうの自分につながることができた。」

「ほんとうの思索を受け持つのは脳ではないのだ。ところがわれわれは脳それ自体のせいで、われわれは自分自身やその考えを脳と関連づけてとらえるやりかたにならされてしまい、脳や肉体を大きく超える存在である本来の自分に気づく力を失っているのである。」

真の思索とは、
いなづまのように迅速で、瞬時にすべてがつながりあう。
完全に自由で、過去やアイデンティティや地位などにゆがめられたりしない
と、この方は書いています。

最近ダグラス・ハーディングにはまって読んだり映像をみたりしていますが
思索の果てにいきついた言葉と、経験で得た言葉が同じことがおもしろいです。


家族は著者の枕辺で以下の祈りをし続けていたそう。
友人のチャネラーから聞いたというそれは、特異な経験の真っ最中にいた患者の意識に届いてたそう。
それは以下の文章。

「この祈りを受け止めてください。
あなたはほかの人々をすくってきました。
今度はあなたが救われる番です。
あなたは大勢の人たちから愛されています。
あなたの体はすべきことを知っています。
まだ死ぬときではありません」


まだ死ぬときではない人が死にそうになったら、この祈りを思い出してやってみよう。





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