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宝くじが二回当たった女

2018June5.jpg
昨日の桃園。ツマ入院中🎵だか、明日からいよいよ始まるみたい
収穫から発送までもーれつに大変だけど😉 がんばれー


ツリのようなタイトルですが、そういう意味ではないですんで。

先日のブログで、古い友人から

「そんな主治医にめぐりあえるなんて、宝くじを当てたようなものだ」

といわれて、

そのせりふ、どこかで聞き覚えがある・・・・・と脳内サーチしたところ、
そうだ。妹でした。結婚の報告をしたときのこと。


「そんな男と結婚できるなんて、6億円の宝くじを当てたようなものだ」


と我が妹に、言われたんですね。
なんでそこまでいうか、今もって意味不明な部分もありますが、
うちのおっとには、
嫁だとか女だとかいう理由で、パートナーに役割を押し付ける根性が1mmもないことが露見したあるエピソードを話したときに言われたのでした。



つまり私はこの人生ですでに、宝くじが二回も当たってしまったらしいですよ。
すごいですねえ。わたし。


1億円以下の宝くじなら、これまでもちょこちょこ当ててます(笑

たとえばうちのしゅうと&しゅうとめは、農村の老人の見かけはしていますが
内容は都会の老人の平均より知的で、昔風の慣習に囚われてないし、考え方が自由です。
(ときどき訪問者にぼけたふりを見せるのは困ったものですが)
農村にあって、同居する義父母が、彼らのような人たち・・・というのは、
宝くじ5千万円を当てたようなものかと。

私が内布家以外の農村家庭に嫁していたら、オットがどういう人間であれ
うまくいった可能性は限りなく低い。周囲を見ていると感じます。
農家嫁として苦労した友人から「珍しい」「球磨にこんな老人はおらん」といわれるたび
当たった宝くじの大きさに感謝しています。


そんなことごとに気づいていた昨夜、
わたしがガンになったのも、道理かなあ、と思いました。


二人にひとりがガンになる時代とはいいますが、そのほとんどは高齢者。

53歳でガンになる確率なんて2%てなもんです
50歳以下の値ですがまあ一緒でしょう


私が2%のレートで当たりをひいたのは、
私だから、だなあと思いました。
なるべくしてなったなあと。


ほかの人だったら、もっといろいろ大変なんでしょう。
昨夜いろんな人の顔を思い浮かべて考えてみたら、
当たったのが私でよかったじゃないか、と思えました。


先月、今の主治医に私のこれまでのカルテを渡したところ、第一声が

「よくこれまでガマンしましたね」

ガマンってのは、これまでの病院のひどい仕打ちに対して? でしょう~~ひどいよね!

と思ってしまった私ですが、そうじゃなかった。

医師が言ったのは、そんな体でよくガマンしてましたね。でした。
つまり、病気が進んでいるので、痛かったりするんですね。
でも私、夫にも愚痴とか言う必要感じてませんでした。ガマンと思ってなかった。
正直いうと、ひとりで、部屋にこもって寝ているしかない日が何日も続くと、
ぽろろんと涙が出ている日はありましたけどね


そういう性格だからがんになる、なんていわれそうですが、
(ガンになる理由のほとんどは、遺伝子のコピーミスだってことを忘れないでくださいね 笑 
交通事故や天災と同じですよ 運ですよ )


ガンだガンだと大騒ぎできない、こういうわたしががんに当たっちゃった、
というのは、悪いことじゃないような気がします。


いい意味でも、悪い意味でも、宝くじが当たる女は、何回でも当たるんで
また大当たりが来るかも。
いい当たり悪い当たり、どちらもかもん


さあ
今年の桃も大当たりだといいなあ



桃、お米、お茶、紅茶、コチュジャンなどなどのご注文は

錦自然農園フルーツストア
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ヒトのためより自分のために

お花見にいきました。
行きの車のなかでは「いくのやめる?」とかオットが言うほど体調微妙でしたが
友人たちの輪の中にすわるといつしか元気になり、
ビールまで飲んでいた

人からエネルギーもらうというの、リアルに感じました
もちよりの会だったのですが、オットが調理して塗りのお重にいれてもっていったのは、
「鹿のカツ」と「たらの芽の天ぷら」
ヨクデキマシタ☆
花がバラバラと振り落ちていくなかで、エンドレスのバカ笑い。いい時間でした

二次会のバーにも行き、いい音響設備で80年代ロック&ソウル&レゲエを聴いて幸せに浸ってました
するとそこにいたMちゃんから

「えみこさんが書いてること、わたしかたっぱしからやってます。
ザワークラウト、いいですねえ。腸の中身がぜんぶでてるってかんじ
ウォーキングも温泉いくのもすっかり習慣になったし、わたしはすっかりえみこさんみたい(笑)」

こうやって恥さらして書いているくせに、顔知ってる人には読まれたくないと思ってもいるので
ちょっと恥ずかしがっている私です。Mちゃんが言いました。

「やっぱり自分の体を病院に任せるってなんか違うって気がするし、
食べ物が体を作るんだから、毎日自分の食べるものが自分の未来を作るって気がするんですよー」

そうよね、おっしゃるとおり。
と、思いながら私はこんなことを言いました。

「最近、食べ物、ライフスタイル、心の三つが健康を作るっていうのを目にするけど、
私は心が5割以上、ひょっとしたら7割かも、ってそんなこと思うんだよね。

私が病気になったのって心の部分の原因がすごく大きい気がしてね」

いくらかの説明が必要かと思ったのに、Mちゃん、何も言わせず、大きくうなずきました。

「農園で働かせてもらっていたとき、お客さんに品物を送ることの責任を
えみこさん見て、痛感したんです。こんなにとは、思ってなかった。

たとえばお客さんから何かメールがくるでしょう。
知典さんは、『そういう人はいるんだから、ほっとけばいい。適当に返事しておけばいいよ』って
言うんだけど、えみこさんは
『そうかなあ、そういうことで本当にいいのかなあ』って言う。
お客さんへの向き合いかたが違うんですよ。

お昼ごはんが終わったらその瞬間パソコン、バチバチ打ちはじめて、
お客さんを友達みたいにだいじにするし

私は自分がこれ以上はやれないなって思ったら、自分から引いていくことの繰り返しだけど、
そういう引き方をえみこさん、しないでしょう」

よくみてましたねえ。

「べつの、うちで前働いていた男の人からも、
私が真剣に仕事しすしぎると、ダメだしされたことがあった(笑)
すごく心配して言ってくれたの。全身で仕事してるって
なんでわかるんですか、パソコン打ってるだけなのに」

「えみこさん、昔の仕事はそういうことでよかったのかもしれないけど、
こっちでは何もしなくてもよかったのかも(笑)」


前後の話を忘れてしまったのですが、そういう結論に。
私もそうだなあと思いました。

東京では私は、本当に、こどものように自由な気持ちで
「これおもしろい」というのをみつけて企画して、
ワクワクとプレゼンして、ウキウキと取材して、るんるんと(時に泣くほど苦しんで)書いていた。
多くの場合、一緒に仕事する人たちに恵まれて、すごく苦手なことをしないでよかった。
あまり仕事が忙しくなるので、「何のために仕事してるんだろ」と悩む時期があったけど、
「病気で入院している人がたまたま私の文章をよんで、早く元気になろう、外にでていこう」
と思えるものを書く、というモチベーションを発見してからは、悩みゼロ。

人を元気にするために仕事をしているというのが、大きな声ではいわないけど、
私の真ん中にどーんと通っている一本線でした。

親しい編集者に話すと「なに綺麗ごといってんだ」と吐き捨てるように言われたことも
「さっぱり意味がわからない」とキョトンとされたこともありましたが、
そんなことを言われることじたいが、不思議でならなかったでした。

農園でもそう。
お客さんが喜んでくれること、それが目的でプランがはじまる。
これやったらモウカル、という考えで企画したこと一度もなし。

でも最近になってようやく、自分のために仕事できないんだったら、仕事はしないほうがいいのでは?

という結論に落ち着きそうになっています。

人の幸せをつくるのに寄与したい、というのが起点にあると、
仕事は能力以上に廻ってくれるし
困ったことはいくらでも起こるけれど、いつも、ちゃんと助けがやってくる
これまでそうだったし、きっとこれからもそのはず。

ですが、

そういうことではなく、
そういうことではないのですね

わたしは極端に、自分のことどうでもいい、ってことになりがちって気づいたしだいです。

自分の体に対する愛着がなさすぎ。これ、この一年半でだいぶわかりました。
勇気があるって周囲によく言われてきたことと、関係あるかも。


数日前ですが
球磨郡五木村にある西日本で最も高いところからジャンプできるらしい
バンジージャンプのジャンプ台にいきました。

恐怖を少しも感じないのが不思議でした。みんな怖がっているのに。
そのあとに考えたのは、
自分の体にたいする愛着が低いせい? ということ。


もっともっと自分のために仕事しなくちゃ
そうでないなら、仕事やめなくちゃ


私の場合、仕事やめるほうがいいのかな。

ずっと、病気が治ったら、病気の経験を生かしてこんな仕事をしよう、とか考えていましたが
昨日はバーで、友人たちに、はじめて、仕事以外の
治ったらこれをする! を宣言しました

「わたし、治ったら、タイに遊びにいきます」

タイは何度も行ったけど、
ほとんどが仕事だったため高級リゾートばかり泊って、格安ヒッピー旅行をしたことないんですよねえ

数百円の宿にとまって、おいしいものたべまくりの一ヶ月をすごしたい
カンボジアとラオスをまわってもいいな
炭水化物で子豚のように太って帰ってこよう。


自分のために仕事したくなるまで、仕事をする願望は捨てます!!



仕事しない宣言しなくても仕事してないツマと
働きもののオットがやっている
錦自然農園フルーツストア

「トマト缶の黒い真実」

FB_IMG_1520643770482.jpg

またまた、一気読み。面白かった‼️

問題はトマト缶だけでなくケチャップもピザソースもトマトジュースも。
トマト加工業界がひた隠しにしてるホラーな事実がフランスのジャーナリストによって初めて公開されました。

加工用トマトは機械で苗ごと、おそらくはカエルも毛虫も一気に飲み込んで収穫するのが世界の当たり前。

奴隷並みの人件費であり得ない低価格を実現する中国が世界の加工トマトの3割を生産し、
輸出先で、例えばイタリアならイタリアでそれがイタリア産にパッケージされて世界へ。

中国の加工用トマトがどんな農薬に汚染されたかのトレーサビリティーは不可能…

カゴメは国産だから安心? かなあ

原材料の生産国を明記する義務は…イタリアにもないけど、日本にもない。

中国でトマト加工に混ぜ物は当然のように行われトマトより混ぜ物が多いことも。
色と香りが添加されたら何が入ってもわからないですよね🎵

第一次作物を売っていてはモウカラナイ。加工しないと利益は出ない。
近年は、スケールメリットを追わないとすぐに淘汰されていくので、
大規模生産の大規模ぶりが年々スサマジクなっていき、
いとも簡単に、人が食べるものを作っているという意識が生産者から消えるんですね

トマト加工品だけが異常とは思えません。
油業界、菓子業界、酒業界も、外に出せないホラーな事実があるのでしょう。多分、中国が根っこに絡んで。

ウチは安いものを買わないから大丈夫?

イタリアにはアフリカ人を奴隷にして高級トマト缶を作る場所があるそうです。
きょうび、本当の高級品は人の手を要したもの。そこに適正な人件費がかかっていたら、
とんでもなく高価になるのが普通です。が、それでは収益がでないから結局…

アメリカ、カナダは奴隷農業をやらない(ほんとかな)から、
農作物の価格が高く、
ビンボウな人はフレッシュなものを買えないそうですね。
つまり缶詰や冷凍の野菜しか野菜を知らない人が増えている。
新鮮な野菜を料理するのは、お金か教養がある人だけ、という話も聞こえてきます。

大規模農業も、大規模加工工場も、大規模な機械化、大規模販売網も・・・・・・
もはや農業が向かう方向として避けられないでしょう
なんといっても、価格が安くなるのです。

グローバリゼーションというコトバがちまたに流通しだして20年近くたちますが
これの本当の恐ろしさを、この本ではじめてリアルに感じました。
トマト缶の話はただの一例。
ほんとのホラーはこれからなのかも。



錦自然農園はそういう世界がイヤな人に支えていただき
永久にチビサイズで、不器用にやっていけたらいいなと思います




無農薬の米、野菜、茶、ソバ粉、イモ類、はちみつなどなど
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翻訳は熊本県山鹿市のビストロシェルコパンの田中さん。
レストランの仕事しながらよくもこんな素晴らしいお仕事をされていて
すごいです。


「この声をきみに」

本をよむな

と夫に言われているかわいそうなよめです。
読むなといわれましても、趣味なんです。
やめられません。

聞かれても居ないのにいいますが
最近おもしろかった本はですね

「ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力」(帚木蓬生)
「夜の言葉~ファンタジー・SF論」(ル・グウイン)
「仕事なんか生きがいにするな」(泉谷閑示)

どれもおもしろくて。読み終わっても本棚に納める気になれません。

そして読むまで気づきませんでしたが
これらが3つとも似ていることに気がつきました

さらにこれら3冊と似ているもの、思いつきました。

NHKドラマの「この声をきみに」

似てます。


上記のどの本も、NHKのドラマも
合理的なもの、無駄がないもの、速習的なもの、成長志向、質問と答えが一直線に結び付けられるもの

を嫌っているところが似てます。

「この声をきみに」
というドラマは読書好きの人にたまらない魅力を感じさせます
毎回、数冊の本が引用される(というか朗読される)のですが、
それがいちいち、すごくいい。


上記三冊の本も、他の本から引用した部分がとても多いのですが、
その引用の部分がすごくいい

それも、上記三冊とNHKドラマの共通点ですね。


なにかひとつくらい、いいなあと思う引用部分を引用しましょう


芸術のない所に決して真実の花は咲きません。真実に生きようとする自覚が深ければ、人は屹度芸術にまで行きます。其処にだけ真実を見る窓が開かれて居ります。そうして、真実とは愛の最も偉大なるものであることが解ります。
(『愛、理性および勇気』与謝野晶子著)


を引用しているのは、「仕事なんか生きがいにするな」(泉谷閑示)です。
いいなあと思う引用がたくさんあります。


今日は何を読みながらお布団にはいろうかな

ネガティブ・ケイパビリティというのに私はとても欠けているなと思っているせいで
こういう本を引き寄せてしまうのでしょうね

内容を知らずに読んでいるのに、また、同じ内容が書いてある、と驚くことはよくあります
あるとき、本屋で長い時間立ち読みしていたら
開くページ、開くページに「スサノオ」と書いてあったのに驚きました。
講談社学術文庫や新潮文庫の小説や、全然関係ない本をめくっているのに、ですよ
スサノオが何か私の興味に触れていたかというと、そういうことはなくて、
なんだか不思議と思いながら、以後もスサノオは追求していません


錦自然農園フルーツストアでは
おいしさが評判の野菜セット、コチュジャン、
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『イシ 北米最後の野生インディアン』

鶴見俊輔さんがこの本について書かれたすばらしい文章(『近現代作家集Ⅲ』 河出書房新社)を読んで
アマゾンの古本で即買い。
初版は1970年。岩波書店です。
著者はシオドーラ・クローバー。
「ゲド戦記」で知られるル・グゥインの母上で、本にも印象的な序文をよせています。
なぜ文化人類学者の父上がこの本を書かなかったか。
それは本を読めばわかるアメリカ人の暴虐が・・・・・(読んでください)


全然関係ないテーマなんですが、今日ちらっと見たウエブサイトに、こんな言葉が書かれていました。
「人間としてありえない行動だ」。

思いました。
ヒトの行動や価値観は、文化という鋳型しだいでいかようにも、性質をかえます。
戦国時代と、第2次世界大戦中と、20年前と、今と性質がみんな違う。
「人間としてありえない」は、無知だからいえること。
他の時代に対して、私たちはみんな無知です。


「イシ」という本でレポートされているのは、
石を削り、弓をつがえて、狩猟生活し、裸で暮らす石器時代同然の暮らしを生きていた野生インディアンが、
ついに最後のひとりになり、白人の前に自ら姿をあらわしてから亡くなるまでの数年間です。

石器時代から鉄器時代へ。
一日で数万年を飛び越えた男の名前はイシ。

たいした混乱もみせず、鬱屈もせず、スムーズに数万年分のスリップを消化する。
こういうことが誰にでもできるとは思えません。
そこで浮かび上がるのは、イシにそれができるのは、インディアンの集落における一種の上流階級の出身として身につけた堅固な教育があったからと思わせます。


教育とは、学校教育、躾、常識、メディア、伝統、流行、家風、お国柄・・・。
生きて暮らしている空間で、日々吸収するもの。
ヒトの考え方を育て、個々の性質をつくりあげるもの。


石器時代の人間が見るアメリカは、
どんなにまぶしく、すばらしいものに見えるだろうかと、文明側の人間からみると思うところですが、
イシは、おおかたのアメリカ人の想像とはまったく違う感想を抱きます。


英語を十分に使いこなせたとはいえないので、イシの残した言葉は少なく、それを言葉では伝えられてませんが
文化人類学者の奥様が、だんな様に代わってかいたこの本は、豊富な写真と周囲の人との交流の記録から、
イシの考えを、イシが受け継いだ野生インディアンの哲学をあぶりだします。

イシがみたアメリカ人は、

名声とか権力とか金を欲しがり、
若く見られたいと願い、年をとることを恐れ、
考えるよりしゃべり続け、家の中に閉じこもり、欲深く、きわめて残虐・・・・

イシはその愚かさを認識しながら、あわれむでなく、そういうあり方を受容します。

あまりに自分の育ってきた環境と異なる文化に接すると、簡単にけなす、はねつける、はよくあることですが、
未知なる生活習慣をけなすでなく、排斥するでなく、自分の理にてらしあわせて考え、試してみて、
取捨選択していくイシ。周囲のアメリカ人はそんな彼の賢さに瞠目します。


言葉の習得が十分じゃないのに、寡黙な男なのに、
笑顔から、たたずまいから、生活の仕方から、働く姿勢から、
イシが部落で教育されてきた思想と哲学が、アメリカ人に伝わるのです。


インディアンに知恵などないと思っていたアメリカ人たちが、
イシという石器時代からやってきた男に対して尊敬の念を抱き、
魅了され、その時代の第一級の知性をもった教授陣が彼のともだちになりたがるのも、当然のなりゆき。


アメリカの文化文明に接して、「アメリカは何もかもすばらしい」と驚嘆のおもいで受け止め、
すべてを吸収していった戦後の日本人とは、かなり違います。

自分と自分の文化に、ゆるぎない尊敬がある

これがあるかないかがどれだけ大きいことか。
改めてアメリカ人の戦後の「教育」政策がいかに的を得ていたか思い知らされます。

ひょっとしたら、アメリカは、日本を内側から崩す方法を、
精神性においてかなり共通項のあるインディアンの文化人類的研究にヒントを得たかもしれない。
と、この本を読んで思いました。

日本人と野生インディアンの類似性は、本のなかでも言及されています。

言語の共通性。
鎖国して文化を守る。
自分たちの文化への誇り。

こうした人間たちの強さのもとにあるもの。
ひとつは、インディアンも、日本も、
三世代で暮らしており、文化の継承は親から子へ継承されていること。
教育の中心は学校より家だったのです。

勤勉で誇り高い集団を内側から崩すには、家制度を壊せばいいと誰かが気づいたんでしょう。
核家族化させれば簡単!


大量殺戮に有効な武器を持たない点では
日本人も、インディアンと同じなのに
江戸末期の日本人はなぜ、同時代のアメリカ人に、壊滅されなかったのか。


インディアンを大量殺戮したのは主に、ゴールドコーストに金目当てで集った無知で粗暴な移住者でした。
彼らは文字が読めないことも珍しくなく、育ちは極貧。教育といえるものをほとんど受けていない。

一方、遠い島国である日本にやってきたのは、ペリーたち、知的に教育されたエリート。
教育を受けたアメリカ人には、当時の日本人のすごさがちゃんとわかった。

この違いは、大きいかもしれません。

当時の識字率の高さに日本にきた外国人は、どこの国のヒトも驚いたといいます。
かなりの率で、ほぼ全国民が文字を読み、数千年の蓄積を伝達、伝承、教育できる国。
そんな国は日本以外になかった。

千年前に書かれた知恵を読みこなす恐ろしい国民を腑抜けにするために、
戦後、アメリカは、旧かなづかいを、新かなづかいに改めさせた。
ということでしょう。

インディアンは文字をもたなかった。

カリフォルニアで同じ郡といえる近い場所に暮らしながら、
ときにはドイツ語とスウェーデン語くらい集団ごとで、言葉が違ったらしい。
文字が必要とされなかったのは、別の能力を育てていたからかもしれません。


インディアンと日本人は、とても似ている。
注意深く意図された、アメリカによる教育によって、大きく性質が変貌してしまったところまで。


イシは文明に参入したおかげで、文明病である肺結核にかかり、亡くなりました。
最後にのこした言葉が記録されています。



「あなたは居なさい。ぼくは行く」





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